三宅島大学誌

2011〜2013年度にかけて実施した「三宅島大学」プロジェクトをふり返ります。

キッズリサーチ:3日目

2012年8月20日(月)

きょうも暑い日になったが、秋は確実に来ている。「キッズリサーチ」は3日目。朝は、まずラジオ体操。それから、みんなで食卓を囲んで朝ご飯を食べて、子どもたちを待つ。これまでのところ、規則正しい毎日だ。

午前の部

人数はわずかだが、すでに、続けて通ってくる「常連」の子どもたちがいる。だんだん、この「教室」にも慣れてきたようだ。朝は10:00スタートということになっているのだが、今朝は9:30ごろには一人やって来た。宿題を持参している場合には、講師の学生がついて面倒を見る(多くの場合はマンツーマン)。

小学校低学年の生徒は、驚くほど飽きっぽい。とにかく、座って机に向かわせるだけで大変だ。そして、同学年の“お友だち”が来るようなことがあると、教室は瞬時にカオスとなる。走り回って、転んだりぶつけたりしてケガでもしないかと心配になり、同時に、このプロジェクトのために整備された施設を壊すようなことがあっても面倒だと憂う。

じつは、ぼく自身はずっとこのカオスな教室にいるわけではなく、隣の部屋で仕事をしながら、ふすまごしに子どもたち(と加藤研の学生たち)の様子を見守って(見えないけど)いる。月末に出かける田辺市(和歌山)でのフィールドワーク用の資料をつくったり、「三宅島大学」の今後の講座の企画を整理したり。穏やかな雰囲気だと仕事モードになれるのだが、子どもたちの動物的な叫びや、駆け回る音が聞こえてくると、集中できなくなる。そうこうしているうちにお昼になる。

どのくらい勉強がはかどったのかはわからないものの、生徒たちはスタンプカードにスタンプを押して、無事に午前中のセッションは終わり。

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「キッズリサーチ」のような場づくりには、「道具(小道具)」が欠かせない。壁一面の黒板は、予想どおり、とても重要な役割を果たしている。なにより、畳から天井までの高さで、壁いっぱいの幅に設えられた黒板はインパクトがある。日ごとに、描き替えられていく。「小道具」ということでいえば、今回のためにA5版のオリジナルノートをつくって、子どもたちに配っている。他にも名札やステッカーなど。この「教室」への帰属意識や一体感のようなものを育むのに、ちょっとしたモノがあるだけで、だいぶちがう。

あと、触れておくべきなのは、スタンプカードだ。これは、出席(午前・午後分けて)を記録するためのものだが、ハガキ大のカードに合計19のスタンプを押せるような図柄になっている。続けることがなにより大事だし、短いあいだであっても、進捗を確認でき る。「キッズリサーチ」のすべてに出席した子供は、じぶんのカードが19のスタンプで埋まる。

お昼どきになったからかもしれないが、スタンプを押す時間は、子どもたちは急におとなしくなった。きっと、じぶんだけでなく、他の“お友だち”のカードが気になるのだろう。ヘンな競争心ではなく、誰かと一緒に勉強していることを自覚するきっかけにもなるはずだ。

午後の部

1時間の昼休みは、あっという間に終わる。そして、午後の部がはじまる。注意しなければならないのは、「午前中は勉強で、午後は遊び」ではないという点だ。「午前中は勉強で、午後も勉強」なのだ。ここは、子どもたちというよりは、大人たちが、〈正しく〉理解しておく必要がある。

もちろん、学校の宿題は大切だ。サボっていても、計画的にこなしても、やるべき課題はあらかじめ決まっている。ドリルに書かれた回答欄や原稿用紙のマス目を埋めれば、(ひとまず)終わる。そして、言うまでもないことだが、多くの場合、(広い意味での)「勉強」はこのような形にはなっていない。

「キッズリサーチ」というプロジェクトでは、大学生が一緒に宿題に向き合うことにくわえて、ささやかながらも、子どもたちに何かを表現することの面白さを実感してもらいたい。たとえば、海外で暮らす同い年くらいの子どもたちに三宅島を紹介するとしたら、何を語るのだろうか。どこまでも広がる海? それともゴツゴツとした山? あるいは家族や友だち?

雪の多いまちでの暮らしには、雪の降りかたや雪の湿り具合を表現するボキャブラリーがたくさんあるというような話を聞く(言語学などでも扱われる内容だ)。三宅島の子どもたちは、いったい何種類の海の色を知っているのだろうか。大自然のなかで暮らしていれば、知らないあいだに五感が育つ。

おそらく、ぼくたちには想像することのできない、大きなパレットを持っているはずだ。大切なのは、身体にしみ込んだ感性を、どうやって〈外〉に出す(=表現する)かということだ。言葉にするのもいいし、絵の具で描くのもいい。何らかの素材や媒体に出会わなければならない。

けっきょく、午後は13名が集まったので、きょうは、デジカメをつかって動画を撮ってもらうことにした。写真も面白いが、動画も子どもたちの創造力を刺激するにちがいない。3〜4名のグループに分かれ、講師とともに近所を散策した。動画については、あとでまとめる予定だ。

3日目になって、だんだん「寺子屋」は賑やかになってきた。講師役の学生たちも、それなりに楽しんでいるようだが、知らないうちに体力はうばわれているだろう。とにかく、子どもたちのパワーはすごい。

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昨日の日誌で、子どもたちにはまだまだ「大学」や「大学生」が何であるのか、わからないだろう…というようなことを書いた。正しくは、わからないのではない。子どもたちは、それなりに、わかっている。

みんな、「大学に行こう」と言いながら、教室に向かって元気にかけて来るのだ。そう、「大学」は、学生たちがよろこんで通ってくる場所のはずだ。

◎この日誌は2012年8月22日(水)にFacebookの「ノート」に書いたものです。(原文のまま)

キッズリサーチ:2日目

2012年8月19日(日)

たとえば三宅村の小学1年生にとって、「大学生」の存在はどのように映っているのだろうか。おそらく、ほとんどイメージできない「未知の世界」だろう。で も、それでもかまわない。1日目を終えて、そう思った。子供たちの夏休みの風景に、「よくわからないお兄さん・お姉さん」と一緒に過ごしたことが、少しでも刻まれていればいい。あとは、今回のプロジェクトの経過を、ぼくたちがきちんと記録しておくことだ。

午前の部

きょうは日曜日。1日目に算数の宿題を片づけた女の子が、国語の宿題を持ってやって来た。なかなか調子が上がらない様子だったが、静かな教室だ。

三宅島大学本校舎(御蔵島会館)を出て、坂を少し下ると、「691」というカフェがある。港を臨む、気持ちのいい芝生のスペースにピクニックテーブルがあ る。教室のほうが落ち着いてきた様子だったので、ちょっと(のつもりで)「キッズリサーチ」を離れて、コーヒーを買いに行った。

店主のOさんと、いろいろと話をした。「691」は、とてもいい感じの「行きつけの場」になりつつあるようだ。コーヒーショップやカフェ、床屋などが、地域コミュニ ティのなかで、人びとをつなぐ役割を果たしてきたことは、多くの研究者が指摘していることでもあるし、日々の生活をつうじて体験的に知っていることだ。

そして、当然のことながら、コーヒーを飲めること、お土産を買えることだけでは「行きつけの場」にはなりえない。コミュニケーションが場をつくり、人を育てる。Oさんは「駆け込み寺」という言葉をつかっていたが、じぶんの生活圏のなかに、ふと立ち寄れる場所があり、そこにはかならず「よくわからないオジサン (…ごめんなさい)」(そして、男性である必要はない)がいること。それが重要なのだ。

三宅島には、まだまだ昔ながらの紐帯が残っていることはまちがいないが、海を臨むちいさなカフェに点る明かりを求めてやって来る人が、確実にいる。いろいろな情報が集まる、常連が生まれる店だ。Oさんという“マスター”がいて、(学校では習わない)いろいろなことを教えてくれる。黙って話を聞いてくれるだけかもしれない。それだけのことでも、じつは後からじわじわ効いてくる。

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「キッズリサーチ」のことにも話がおよんだ。いまのところ、子供たちにとって、大学生は「よくわからないお兄さん・お姉さん」だ。いずれ「大学生って何だろう」と、マジメに考えるときが来るだろうか…。

気づけば、もうお昼に近かった。

午後の部

きょうは島市があるというので、昼休みにみんなで港まで歩いて行った。きょうの海は、本当に綺麗だった。昨年9月に三宅島大学の開校式をおこなったときには、荒々しかったが、全然ちがう。太陽は、相変わらずジリジリ。

島市から戻って、午後の部は5人の子供たち。全体的に小学校低学年の子供たちが多いので、三宅島大学の校舎は、とても賑やかになる。集中して机に向かうのが、なかなか難しい(のはしかたないか…)。すぐに、走り出し、外に行きたがる。

でも、とにかく宿題を終わらせる(あるいはひと区切りつける)までは、「フィールドワーク」はしないというのが、ぼくたちの方針なので、早く終わった子供たちは玄関のあたりで遊びはじめる。「一抜け」なのだ。まだ宿題が終わらない子は、みんなを待たせつつなんとか集中する。そうやって、宿題を少しずつ片づけ る。

きょうも、子供たちにデジカメを渡して、近所の写真を撮ってもらった。ちいさくプリントアウトして、黒板に描いた地図に貼っていくつもりだ。ふだん、カメラを持った人とどのように向き合っているか、つまり、じぶんがどのように写されているかが、子供たちの写真の撮り方にも表れているようで、とても面白い。

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相変わらず、大きな黒板は子供たちを惹きつけている。「大学」や「大学生」はともかく、大きな黒板がある部屋を、じぶんたちの「行きつけの場」だと感じてくれるだろうか。「こたえ」のある問題もあるが、「こたえ」のない問題もたくさんある。というより、やがては問題そのものを探すことになるのだ。

◎この日誌は2012年8月20日(月)にFacebookの「ノート」に書いたものです。(原文のまま)

キッズリサーチ:1日目

2012年8月18日(土)

みんなで、三宅島大学のワッペンがついた、お揃いのポロシャツ(スタッフ用)を着た。「キッズリサーチ」の初日。朝にはスコールのような感じで大雨が降ったものの、まもなく晴れて暑くなった。

初日は、やや出足が悪い。聞いたところによると、小学校のほうはプールの行事があって、どうやら子供たちは、そっちに向かったみたい。学校行事なら、しかたないか…というわけで、スローなはじまり。

ところで、三宅島大学の企画をすすめるなかで重要だと考えたのは、「緩さ」の仕組みだ。 もう少し具体的に言うと、それは、いつでも・だれでも自由に加わったり、あるいは離れたりできるということ。もちろん、三宅島大学に「入学」すれば学生証が発行され、決められた単位を取れば「卒業」ということになる。その意味では、いろいろな決まりごとがあるが、(理想的には)行きずりで講座に出ることもできるし、即興的に授業が成り立つことも歓迎している。三宅島大学は、何かのはじまり、どこかに向かう入り口なのだ。

午前の部

予定どおり、10:00スタートのつもりで準備を整えて待っていたところ、けっきょく、最初の「お客さん」が来たのは11:00ごろ。「緩さ」の仕組みで動いている講座だから、まぁノンビリやればいいという気持ちがあるいっぽうで、生徒のいない教室は、やはりさびしいものだ。しばらくして、もう一人。(それでも、講師陣が多すぎるというアンバランス…。)

いきなり島に現れた教室なので、当然のことながら(お互いに)緊張する。まずは、ウォーミ ングアップをかねて、「お絵描き」をした。適当にお題を出して、みんなで描くという単純な遊びだが、この黒板がなかなかいい。壁一面の黒板に向かって、い ろいろな絵を描く。おそらく、子供たちは、ふだん黒板に好きなことを描く機会はない。落書きは叱られる。

三宅島大学(本校舎)にある黒板は、大きくて広くて自由だ。「ひまわり」「ねこ」「カニ」「プール」などなど。だんだん、黒板が埋まっていく。なかでも「三宅島」というお題は、面白かった。一緒になって黒板に向かっていた学生は、資料などで見慣れているせいか、上から見た三宅島を描いた。生徒の一人は、島を横から見て、ごつごつとしたガメラのような「三宅島」を描いた。なるほど、そうだ。どれも「三宅島」だ。

 

午後の部

いちおうの「時間割」はつくってあるものの、基本的にはひとり一人の生徒に合わせて、ぼくたちが「授業」の内容を考える。つまり、究極の「テイラーメイド」型の学習プログラムである。

けっきょく、午後も人数は少なかったが、一人は夏休みの宿題を持参していたので、個人教授(というより、生徒一人に講師二人という贅沢さ?!)。算数のプリントの束を前に、順番に片づけていく。もちろん、ぼくたちは直接「こたえ」を教えることはしない。

飽きないように、簡単に投げ出さないように、脱線しながら、おしゃべりをしながらつき合う。それだけで、いいように思う。そして、(けっきょく1時間半くらいは机に向かっていたので)算数の宿題はめでたく終了!明日は、国語を持って来る…と言っていた。

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もう一人の生徒は、宿題がまだ手つかずでだいぶ残っているようだが、きょうはぶらりと教室に寄ってみた感じで、何も持って来ていなかった。近所でよく釣りをするとのことだったので、デジカメを渡して、辺りの「お気に入り」スポットの写真を撮ってもらうことにした。

首からデジカメを提げて、学生とともに近所を歩き回り、1時間半ほどで帰ってきた。イマドキの小学生は、もう説明などしなくても、デジカメを器用に操る。ふだん、彼が釣りをしながら眺めている風景が、たくさん集まった。大きな空と海。波と堤防。桟橋で拾った魚。

(ここだけの話だけど)この自然に囲まれて、しかも夏休みなら、宿題が後回しになっても少しも不思議ではない。ギリギリまで宿題をサボり、先延ばしにしておくのは、子供たちの特権なのかもしれない。外に出て、太陽を思い切り浴びるのが夏休み。そう考えると、ぼくたちが、朝から室内にこもって「寺子屋」をやっていることのほうがもったいなく思えてくる。

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オトナたちは、しっかりと勉強をさせたい、宿題をちゃんと終わらせて欲しいと願う。いっぽうで、 子供たちは、いま何をするべきかを本能的に知っているのだろう。「緩さ」の仕組みを活用して、できるだけ外に出よう。子供たちの「お気に入り」を、もっと教えてもらいたい。ガメラのような「三宅島」を、身体で感じてみたい。

◎この日誌は2012年8月19日(日)にFacebookの「ノート」に書いたものです。(原文のまま)