三宅島大学誌

2011〜2013年度にかけて実施した「三宅島大学」プロジェクトをふり返ります。

ピリオド(謝辞)

 『三宅島大学誌:「三宅島大学」とは何だったのか」|2015年3月20日発行

無事に『三宅島大学誌』が完成した。書籍であれば、最後にのんびりと「謝辞」を書くのだが、『三宅島大学誌』は「報告書」だ。なにより、当初の予定よりも20ページ増えて、紙幅にも余裕がなくなってしまったので、ここに、いまの気持ちを書いておきたい。

三宅島には何度も出かけたが、一度も飛行機には乗らなかった。最初は戸惑いながらも、やがて、船にゆられる6時間半がとても大切に思えるようになったのだ。船で過ごす時間は、心と身体を整えるための時間になる。同行するメンバーたちと、デッキでたくさん話をした。東京文化発信プロジェクト室(以下文プロ)の森さんと話をする時間も、たっぷりあった。もともと「アートプロジェクト」と呼ばれる活動には、先入観も偏見もあって、少しばかり警戒しながらかかわっていたのだが、だんだんと、ぼくなりに理解がすすんだ。

「アートプロジェクト」にかぎらず、大事なのは「人」である。そして、当然のことながら、一人ひとりが無関係でいられるものではない。だから、「座組(ざぐみ)」が肝心なのだ。3年間、船で行き来するあいだ、ぼくは「座組」について考えることが多かった。船にゆられながら、「アートプロジェクト」と、(ぼくが志向する)フィールドワークの方法がとても似ていることを実感した。最悪の事態に備えて、最低でも平均点をこえられるようなヘッジも必要だ。だが、「安全」ばかりを求めていたら、つまらない。個性がぶつかり合うことによって、「何か」が生まれる(かもしれない)ことに賭ける。

つまり、「アートプロジェクト」は冒険なのだ。「島に行きませんか?」という、森さんのひと言は、冒険へのお誘いだった。文字どおり、「同じ船」に乗って(in the same boat!?)、未知の「世界」へと向かう、その道行きに加わった。あらためて、「三宅島大学」にかかわるチャンスをいただけたことに感謝したい。そして、2014年度は「三宅島大学誌」を編纂するというプロジェクトがはじまった。2011〜2013年度にかけて実施されたプロジェクトがいったん終わってから、さらに一年かけて、ふり返りとまとめをするというものだ。このふり返りのやり方は、船にゆられて帰るのに似ている。年度末にどたばたと「報告書」をまとめるのではなく、いつもよりもゆったりとしたペースで経験を反芻する。とても贅沢なやり方だった。この一連のプロセスは、文プロの芦部さん、吉田さんが、いつも見守ってくれていた。

また、今回は卒業生たちとともにまとめの作業をできたことを、とても嬉しく思う。はじめて三宅島に行くとき一緒だった面々に声をかけたら、快く引き受けてくれた。とりわけ、奥ちゃん(奥麻実子)には、お世話になった。冊子のレイアウトやデザインを…という話だったが、結局は編集も原稿執筆も、いろいろとお願いすることになった。相変わらず仕事は丁寧で、土壇場のパワーは健在だった。ありがとう。

すべての名前をここで挙げることはできないが、じつに多くの人びととのかかわりのなかで、「三宅島大学」と「三宅島大学誌」が動いていた。そして「墨東大学」が、その原点であったとするならば、この5年間分のつながりと広がりへの感謝が必要になる。冊子が納品される前日に、ぼくたちは「打ち上げの練習」をした。あとは、みなさんが手に取って、どのような反応をするかを待つだけだ。ひとまず、ピリオド。もちろん、ピリオドを打つのは「ピリオドの向こう」へ行くためだ。つぎなる冒険は、どこを目指すのか。楽しみでしようがない。

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『三宅島大学誌:「三宅島大学」とは何だったのか(四六判 120ページ)*1

・2015年3月20日発行

・監修:加藤文俊

・デザイン:奥麻実子

・編・著:三宅島大学誌プロジェクト 加藤文俊・奥麻実子・森部綾子・飯田達彦・深澤匠(加藤文俊研究室)|芦部玲奈・吉田武司(東京文化発信プロジェクト室)

・発行:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京文化発信プロジェクト室

*1:『三宅島大学誌』は、「報告書」なので、値段がついて書店にならんでいるものではありません。毎年、この時期に文プロから「箱」が送られてくるひとには、まもなく届くはずです。もちろん、関係者のかたがたには、随時、発送します(可能なら手渡しで)。これからの数か月は、何冊かバッグに入れて出かけるようにするので、もしぼくに会う(予定の)人は、声をかけてください。その他、講義・講演、展示などの機会にも配布できるようにします。