三宅島大学誌

2011〜2013年度にかけて実施した「三宅島大学」プロジェクトをふり返ります。

2015-01-01から1年間の記事一覧

カメラは見ていた。

画面のなかには、いまでも「三宅島大学」があります。法被姿のあの人と一緒に。ストリートビューという記録。 2013年8月

ピリオド(謝辞)

『三宅島大学誌:「三宅島大学」とは何だったのか」|2015年3月20日発行 無事に『三宅島大学誌』が完成した。書籍であれば、最後にのんびりと「謝辞」を書くのだが、『三宅島大学誌』は「報告書」だ。なにより、当初の予定よりも20ページ増えて、紙幅にも余…

3月9日のクッキー(2014)

◎この文章は、2014年3月10日(月)にFacebookの「ノート」に書いたものです。(一部修正) 海はとても穏やかで、船はほとんど揺れなかった。みんなでデッキに集まって、カズさんにもらったシャンパンを飲みながら、島が遠ざかっていくのを見ていた。日差しが…

「三宅島大学」をふり返る(6)

「三宅島大学」とは何だったのか これまで、ふたつの観点から「三宅島大学」プロジェクトをふり返ってきた。ひとつは、コミュニティや地域の理解を試みる際の方法にかかわる観点である。私たちは、日頃から「問題解決」のためにプロジェクトを構想することが…

「三宅島大学」をふり返る(5)

仲介者・媒介者としての「島外島民」 三宅島には、豊かな「資産」がある。ABCD(Asset-Based Community Development)アプローチでは、地域「資産」をマッピングした上で、それらを「モビライズ(mobilize)する」というプロセスを提唱している*1。つまり、…

「三宅島大学」をふり返る(4)

三宅島の「資産」をマッピングする あらたな「大学」を(実験的に)つくろうというとき、そもそも「大学とは何か」という問いかけが必要になる。「大学」について考えるとき、ギルバート・ライルの『心の概念』の冒頭の一節を思い出す。少し長くなるが、引用…

「三宅島大学」をふり返る(3)

拠点の重要性 『アートプロジェクト:芸術と共創する社会』(2014)の冒頭に、「アートプロジェクトとは」というページがある。たとえば、「制作のプロセスを重視し、積極的に開示」すること、「プロジェクトが実施される場やその社会的状況に応じた活動を行…

「三宅島大学」をふり返る(2)

ニーズ主導から、可能性志向へ 「アートプロジェクト」や「地域活性化」というテーマに取り組む際、少なくとも二つのアプローチを考えることができる。まず、私たちに比較的なじみ深いのは、地域における諸問題を同定し、それに対する解決方法を探るというア…

「三宅島大学」をふり返る(1)

島の誘惑 「島に行きませんか?」というひと言で、プロジェクトが動きはじめた。東京都文化発信プロジェクト(以下文プロ)の森司さんから電話があったとき、どの島なのかを確かめることもなく「はい」と返事をしていた。他の参加者も、同じように「島に行き…