三宅島大学誌

2011〜2013年度にかけて実施した「三宅島大学」プロジェクトをふり返ります。

「三宅島大学」をふり返る(6)

「三宅島大学」とは何だったのか

これまで、ふたつの観点から「三宅島大学」プロジェクトをふり返ってきた。ひとつは、コミュニティや地域の理解を試みる際の方法にかかわる観点である。私たちは、日頃から「問題解決」のためにプロジェクトを構想することが多い。その場合、コミュニティや地域への関与は、課題に直面している「クライアント」と、課題の解決を試みる「専門家」という図式で理解される。ABCDアプローチは、そうした“ニーズ主導”の考え方に対して、 “可能性志向”にもとづく理解の方法を提案している。

もうひとつは、プロジェクトを広げていく際の考え方や、時間にかかわるヴィジョンである。地域における活動を、時間をかけて少しずつ根づかせていくのか、それともイベントのように即時的に消費するのか。これについては、「鉢植え」と「切り花」にたとえながら論じてみた。これらをふまえると、やや粗削りではあるものの、下図のように〈ニーズ主導=可能性志向〉〈鉢植え的=切り花的〉というふたつの軸で、地域活動のありようを整理することができる。

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短期的に、つまり「切り花的」に “ニーズ主導”のプロジェクトをすすめる場合には、当然のことながら、即時的な結果が要求される(図中左下)。そして、課題が明確であればあるほど、目標への到達度は評価しやすい。あらかじめ明示されていたニーズが、決められた時間・コストのなかで満たされたかどうかが重視されるため、現場でのあらたな気づきや、想定外の発見は関心の「外」に位置づけられることになる。委託調査・研究や自治体等が主導する年度ごとの事業は、こうした文脈において実現することが多く、より厳密な意味での「契約関係」を維持しやすいと言えるだろう。

多様な実践があるとは思うが、「コミュニティデザイン」と呼ばれる領域は、典型的にはこの図の左上に位置づけることができるだろう。ある程度の時間をかけて、人びとのつながり方・かかわり方をデザインし、コミュニティや地域の課題解決を試みる。ワークショップなどをとおして、あたらしい課題が明らかになれば、中長期的な計画のなかに取り込んで、位置づけることもできる。

私が「アートプロジェクト」に関心をもち、面白さを感じているのは、それが(ABCDアプローチを持ち出すまでもなく)本質的に“可能性志向”だからである。単発的に(「切り花」的に)実施されるプロジェクトが多いようにも見受けられるが、アーティストによる創作活動は、なんらかの明快なニーズに応えるためではなく、コミュニティや地域での発見や気づきによって突き動かされている。その意味で、つねに実験的・探索的である。もう一歩すすんでいえば、既成のニーズを創造的に破壊することこそが、「アートプロジェクト」が果たすべき役割なのだ。その精神を象徴するのが、2011年6月に実施された「三宅島リサーチ」だ。総勢30名近くで三宅島に渡り、一週間近く滞在した。それぞれが三宅島を巡って(というより、島に放たれたという感じだろうか)、滞在期間中に「何か」を発見することがミッションだった。最終日には、簡単な成果報告もおこなわれることになっていた。参加者たちは、一人ひとりの感性と方法を駆使して、「何か」をつかもうとした。その経験が、「三宅島大学」の理念をかたどった。

もちろん、こうした“可能性志向”によるかかわり方は、残念な結末を迎えることもありうる。さまざまな「資産」をつなぎ、何かを生み出すことを試みるのが基本だが、そもそも「資産」に乏しい場合はどうなるのか。あるいは、うまくつながりをつくれなかったときは、どう考えればよいのか。“可能性志向”で推進するプロジェクトの評価は、容易ではない。

「三宅島大学」は、“可能性志向”を意識しながら、長きにわたって活動を根づかせていくことを目指すものだった。私たちは、このプロジェクトによって、「コミュニティデザイン」や「アートプロジェクト」が向かいはじめている、あたらしい領域を目指していた。この3年間で、まだ名前をあたえられていない、あたらしい領域の開拓に、着手できたのかもしれない。

 

おわりに

「三宅島大学」は、私たち自身が学ぶための場でもあった。私だけではなく、実行委員会のメンバーにも、教育関係者が何名かふくまれていた。少しずつではあったが、「三宅島大学本校舎」に生活感が漂いはじめていたこと。そして、こどもたちが、「三大(さんだい)」と口にしながら集まってきたこと。このささやかな変化を見るだけでも、確実に三宅島の「資産」がつながりはじめていたことを実感できた。そのようすを、なぜひと目でも見ようとしなかったのだろう。現場を熟知することこそが、成長へのよき源泉ではなかったのか。

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わずか3年で閉じる「大学」など、聞いたことがない。一人の教育者として、もう一度、「三宅島大学」にかかわったすべての人に問いたい。私たちは、このプロジェクトをとおして何を学んだのか。変化を拒み、あたらしい挑戦から目を背けるとき、私たちの可能性は閉ざされる。「島でまなび、島でおしえ、島をかんがえる。」という理念のもとに集い、「三宅島大学」の大きな旗を風になびかせたのは、いったい誰だったのか。もうしばらく、自問したい。

(ひとまず、了)*1

*1:これまでに書いた全6回分の記事は、加筆・修正の上、小冊子『三宅島大学誌』に掲載予定です。