三宅島大学誌

2011〜2013年度にかけて実施した「三宅島大学」プロジェクトをふり返ります。

「三宅島大学」をふり返る(4)

三宅島の「資産」をマッピングする

あらたな「大学」を(実験的に)つくろうというとき、そもそも「大学とは何か」という問いかけが必要になる。「大学」について考えるとき、ギルバート・ライルの『心の概念』の冒頭の一節を思い出す。少し長くなるが、引用しよう。

オックスフォード大学やケンブリッジ大学を初めて訪れる外国人は、まず多くのカレッジ、図書館、運動場、博物館、各学部、事務局などに案内されるであろう。そこでその外国人は次のように尋ねる。「しかし、大学はいったいどこにあるのですか。私はカレッジのメンバーがどこに住み、事務職員がどこで仕事をし、科学者がどこで実験をしているかなどについては見せていただきました。しかし、あなたの大学のメンバーが居住し、仕事をしている大学そのものはまだ見せていただいておりません。」この訪問者に対しては、この場合、大学とは彼が見てきたカレッジや実験室や部局などと同類の別個の建物であるのではない、ということを説明しなければならない。まさに彼がすでに見てきたものすべてを組織する仕方が大学にほかならない。すなわち、それらのものを見て、さらにそれら相互の間の有機的結合が理解されたときに初めて彼は大学を見たということになるのである。彼の誤りは、クライスト・チャーチ、ボードリアン図書館、アシュモレー博物館、そして大学というように並列的に語ることができると考えた点にある。

この一節は、「カテゴリー錯誤」という問題を説明するために使われている事例だが、こうした錯誤が起きやすいということ自体が、「大学」の複雑さであり、面白さなのだ。たしかに、私たちは、「大学」をめぐる日頃のやりとりのなかで、「カテゴリー錯誤」に陥っているのかもしれない。だからこそ、「大学」をつくるという課題を目の前にすると、何を考えればいいのか、さまざまな「資産」への接点をどのように獲得すればいいのか、あれこれと頭を悩ませるのである。

ライルの一節にあるように、「大学」は、さまざまな要素を「組織する仕方」だという点に、あらためて光を当ててみよう。つまり「大学」は、さまざまな要素の〈関係性の集合〉ともいうべきものだ。そう考えると、あらためて、前述のABCDアプローチの有用性にも気づくだろう。「個人の属性・能力」「地域における集まり」「地域の施設・組織」など、じつに多くの〈モノ・コト〉が、「大学」を理解するための素材になりうるのだ。重要なのは、私たちが「三宅島大学」について語る際に、どのような関係性に着目するかという点だ。

すでに述べたとおり、「三宅島大学」プロジェクトは、さまざまな「講座・行事」を提供しながら三宅島の潜在的な「資産」を発掘し、可視化する活動であった。もちろん、三宅島の雄々しい自然は、そのままでも、すでに「資産」としての価値がある。だが、多様な「資産」のあたらしい組み合わせやつながりを考えることで、三宅島の個性をさらに際立たせることができるはずだ。

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表1は、前述のABCDアプローチの流儀にしたがって、「個人の属性・能力」「地域における集まり」「地域の施設・組織」という3つの観点から、三宅島の(潜在的な)「資産」をリストアップしたものである。ただし、これらの3つの分類設定が、相互に排他的ではなく、重複しうるという点には注意が必要である。また、この内容は網羅的ではなく、私たちが「三宅島大学」プロジェクトをすすめる過程で、逐次更新されてきたものである。以下では、3つの観点について、簡単に概観しておこう。

まず「個人の属性・能力」として考えておくべきなのは、私たちが一般的に「アクター」と呼んでいる(プロジェクトへの)参加者・関与者たちである。「三宅島大学」の場合、とくに交流やコミュニケーションを重視しているので、島内の人びとのみならず、島外から訪れる人びとも参加者・関与者として位置づけておくことが重要だった。「三宅島大学」の成り立ちについて説明をする際、これが誰のためのプロジェクトなのかを問われることが多かった。「大学」は、島内外を問わず、表1に記載されている多様な属性や能力をもつ人びとが、出会うための仕組みとして理解することができる。島内の人どうしであっても、生活リズムや日常の行動範囲がちがうために、一緒に活動する機会がない場合も少なくない。「大学」は、隣人との出会いや再会を実現する場所でもある。

「地域における集まり」は、「大学」のカレンダーを設計するうえで重要である。言うまでもなく、「大学」は講座のための時間・空間だけで成り立つものではなく、学ぶ人・教える人の日常生活とともにある。そのため、「三宅島大学」の学事日程と、地域のイベントとの連携は欠かすことができなかった。実際には、「大学」の講座と、島の定例イベントとの連携は必ずしも円滑にすすんだとは言えない。たとえば2012・2013年度に実施した「キッズリサーチ」は、島のこどもたちのために提供するプログラムだった。村からの提案で企画・実践したにもかかわらず、小・中学校の学事日程と、「大学」の学事日程との調整が行われていなかった。そのため、実際にプログラムが動き出しても、「キッズリサーチ」への参加者がなかなか集まらないという結果になってしまった。

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「地域の組織・施設」は、「大学」としてプロジェクトを運営するためには、とくに重要であった。たとえば「ネイチャーウォーク」のように、三宅島の自然を活かして行われる講座もあるが、やはり拠点をもつことで、「大学」としての機能は強化される。2012年度からは「三宅島大学 本校舎(御蔵島会館)」の運用がはじまり、プログラム運営の利便性が向上するとともに、「大学」そのものの認知度も高まったようだ。また、船の往来によって、島のリズムが刻まれていることをふまえると、船客待合所は、定期的に人が集まる場所として利用度の高い施設だと考えられる。さらに、たとえば竹芝客船ターミナルも、三宅島との行き来に利用する施設であるため、「三宅島大学」のエクステンションとして位置づけることができる。地域の「資産」としての組織や施設を考えるときには、その地域に限定することなく、行路(航路)や、他の地域に拠点をもつ関係組織・施設へと視野を広げることも重要だろう。

(つづく)

「三宅島大学」をふり返る(3)

拠点の重要性

 『アートプロジェクト:芸術と共創する社会』(2014)の冒頭に、「アートプロジェクトとは」というページがある。たとえば、「制作のプロセスを重視し、積極的に開示」すること、「プロジェクトが実施される場やその社会的状況に応じた活動を行う、社会的な文脈としてのサイト・スペシフィック」であることなどが、1990年代以降に展開されてきた「アートプロジェクト」の特徴として挙げられている。

すでに述べたとおり、「三宅島大学」は「調査・研究」「講座・行事」「環境・設備」という3つの活動領域によって構成されていた。「アートプロジェクト」という方法で、将来的に三宅島の「資産」としての価値を生み出しうる、さまざまな「資源」について探究する試みであった。島全体が「大学」に見立てられていたものの、現実的にも象徴的にも「校舎」の存在は重要である。現場の文脈を考えながら、積極的にプロセスをオープンにする(オープンにし続ける)ための「場所」が必要だった。

「三宅島大学」の前身である「墨東大学(ぼくとうだいがく)」も、ささやかながら拠点を持っていた。墨田区京島のキラキラ橘商店街にある空き店舗が、「墨東大学 京島校舎」と呼ばれ、さまざまな講座のための教室として、さらには卒業式や卒業制作展のための会場として利用された。「プロセスを重視する」ということでは、引っ越しや壁のペンキ塗りといった拠点整備の活動自体も、「講座」として提供した。

「三宅島大学」プロジェクトでは、最初の数回は民宿を利用した。私たちも不勉強だったのだが、島のリズムは、船の往来と密接に連動している。明け方5時に船が着き、午後2時に船が出る。これが基本になって、島の活動が組み立てられている。「島時間」ということばから連想しがちな、のびやかな時間感覚というよりは、むしろ規則的だと言ったほうがいい。私たちが常識的だと思っている時間の使い方は、通用しない。私たちは、つい宵っ張りな過ごし方を求めてしまうのだが、早寝早起きが基本だ。その理解不足で、民宿にはいささか迷惑なふるまいをしてしまった。

いずれにせよ、「三宅島大学」の拠点として、民宿を使い続けるわけにはいかない。数回のリサーチを経た後、伊豆地区にある「伊豆避難施設」を利用できるよう調整が行われ、初年度(2011年度)は、この避難施設が「三宅島大学」の活動拠点となった。「避難施設」であるから、民宿よりも柔軟に使うことができる。ただ、実際に講座や行事は、「アカコッコ館(三宅島自然ふれあいセンター)」や「三宅村公民館」など、他の会場を利用する必要があり、そのつど「三宅島大学」の事務局機能も移動することになった。

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三宅島大学 本校舎(左:2012年8月 右:2013年8月)

2年目(2012年度)からは、阿古地区にある「御蔵島会館」を「三宅島大学 本校舎」として活用できるようになった。錆が浜港から徒歩5分程度という好立地で、近所には観光協会や商店もある。くわえて、村役場へのアクセスも良い。宿泊や自炊のための設備は、私たちの滞在中の自由度を格段に高めてくれた。広間には天井まで届く黒板が設置され、教室らしい雰囲気になった。「三宅島大学」と書かれた看板ができて、ようやく「居場所」ができた。少しずつではあったが、「本校舎」を拠点に「三宅島大学」における活動のスタイルがつくられていった。

 

コミュニケーションが「場所」をつくる

「三宅島大学」をひとつの生態系として考えるとするならば、それを構成するのは教室や校舎といった有形のモノだけではない。言うまでもなく、さまざまな無形のコトも有機的に結びつくことによって「全体」がかたどられていく。「三宅島大学」プロジェクトにとって重要なのは、空間としての拠点ができたことだけではなく、「マネージャー」が常駐するようになったという点である。たとえば教室という空間は、コミュニケーションをとおして息づく。人びとが集い、自由闊達に語らうことによって、「居心地のいい場所(グッド・プレイス)」ができる。

2012年の夏以降、「三宅島大学 本校舎」に「マネージャー」が暮らすようになり、(大学をめぐる)生態系は、広がりを持ちはじめるとともに、安定していった。「マネージャー」は、村役場との調整をしながら講座や行事の運営をサポートする「事務局」であり、逗留するアーティストや関係者を迎える「おかみさん」であり、同時に村の人びとに「三宅島大学」の活動内容を伝える「広報担当」のような存在であった。

「三宅島大学」を構想した際に整理したコンセプトのひとつが、「コミュニケーションを誘発するしくみ」としての「三宅島大学」というものであった。これは、「アートプロジェクト」の評価にもかかわるが、私たちは、「三宅島大学」の意味や意義は、人びとのコミュニケーションに表れるという考えに依拠しながら「全体」をデザインした。人びとの日常会話のなかに、「三宅島大学」や大学生活にかかわることばが表れるときにこそ、「三宅島大学」の存在が認知されたと考えることができるからだ。

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2011年の「開校式」以降、さまざまな場面で、「三宅島大学」が(内容の詳細はともかく、その名前程度は)、村の人びとに知られているということがわかった。とくに2012年夏に実施した「キッズリサーチ」をとおして、子供たちのコミュニケーションのなかに「三宅島大学」の存在を実感することができた。当初は、「三宅島大学」を略して「三宅大(みやけだい)」という呼称が流通するのではないかと期待していたが、子供たちは、「三大(さんだい)」と口にするようになった。また、子供たちは何気なく「大学に行ってくる…」と言って家を出ていたと聞く。

「キッズリサーチ」に参加していた子供たちにとって、「三宅島大学」が「本物」であるかどうかは、問題ではない。コミュニケーションを誘発するしくみとして、その本質が「真正」であるということが大切だ。「三宅島大学 本校舎」は、プロジェクトのためにあたえられた呼称だったが、「大学」として語り、足をはこぶことで、子供たちも「アートプロジェクト」の参与者になっていたのである。

(つづく)

「三宅島大学」をふり返る(2)

ニーズ主導から、可能性志向へ

「アートプロジェクト」や「地域活性化」というテーマに取り組む際、少なくとも二つのアプローチを考えることができる。まず、私たちに比較的なじみ深いのは、地域における諸問題を同定し、それに対する解決方法を探るというアプローチだ。たとえば図1のように、地域をめぐる問題状況のマッピングが行われ、対処方法や優先順位の検討、さらにはコストの試算・配分等についての議論がすすめられる。図は、例示のために簡略化してあるが、問題状況は、その規模や緊急性、抽象度に応じて分類される。「アートプロジェクト」は、たとえば少子高齢化、生涯学習、“シャッター商店街”、コミュニティの喪失など、私たちが日頃マスメディア等で目にする「地域活性化」に関わる問題や課題とともに語られることが多くなった。このアプローチは、「問題(課題)ありき」でスタートするので、「アートプロジェクト」は、これらの「問題(課題)」の理解や、解決のための方法として位置づけられることになる。

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図1:ニーズにもとづいた問題状況のマッピング Kretzmannほか(1993)を元に作成 [註1]

Kretzmannらは、こうした“ニーズ主導(needs-driven)”とも呼ぶべきアプローチ自体が、問題状況に向き合う当事者たちを、必要以上に「クライアント化」する可能性があると指摘する。ひとたび地域コミュニティにおける「問題(課題)」が提示され共有されると、当該の「問題(課題)」にかかわるアクターやその役割関係が固定的になりがちだからである。また、地域に固有の問題でありながら、不特定多数の人びとを「受け手」に想定した記述、報道がなされると、問題状況そのものが、あたかも「他人事」であるかのように対象化されることになる。

近年、アメリカ、オーストラリアを中心に、Asset-Based Community Developmentアプローチ(以下ABCDアプローチ)の実践が拡がりつつある。同アプローチは、地域におけるニーズを発掘し、それに対して 「問題解決」を試みるという“ニーズ主導”の発想ではなく、まずは地域のもつ「資産」を熟知し、その潜在的な可能性を模索するものである。 つまり、“可能性志向(capacity-focused)”という立場から、地域に偏在する多様な「資産」の理解を試みることになる。ABCDアプローチでは、ことなる発想でマッピングを行う。図2のように、地域コミュニティが保有する「資産」を、個人の属性・能力、地域における集まり、地域の組織・施設から構成されるものとして位置づけ、地域の「強み」(潜在的な可能性)を可視化しようと試みるのである。

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図2:ABCDアプローチによる地域資産のマッピング Kretzmannほか(1993)を元に作成 [註2]

たとえば、地域の組織・施設のひとつであるコミュニティ・カレッジは、次のような側面から「資産」としての価値をもつと評価することができる(註3)。

  1. 教員・スタッフ:高度な専門知識・技能をもつ人財の集まりとして、地域コミュニティへの貢献が期待できる。新規科目の提案や学生たちのボランタリーな参画など、双方向の交流へとつながる可能性がある。
  2. 空間・施設:さまざまな集まりのための物理的な空間を供与できる。たとえば稼働率の低い時間帯は「外部」の活動主体に開放する。屋内スペースのみならず、屋外の駐車場やスポーツ施設、キャンパス内のランドスケープ(公園としての機能を果たす)も地域資産としての価値を発揮しうるだろう。
  3. 機材・備品:施設面のみならず、コミュニティ・カレッジが備えるさまざまな学習のための環境も役立つ。コンピューターをはじめ、AV機器、工作機械、書籍などは地域コミュニティに開放され有用に活用されうる資産価値を備えている。
  4. ノウハウ:当然のことながら、コミュニティ・カレッジ内で提供されている講座や実習は、地域に直接的に役立ちうる知識・知恵の集積として理解することができる。
  5. 経済的貢献:また、直接的には雇用機会の創出という形で地域コミュニティに貢献しうる。

ABCDアプローチでは、このようにさまざまな観点から「資産」をマッピングした上で、地域コミュニティにおける潜在的なパートナーを考え、そのパートナーとの紐帯を強化するための方法・方策を検討する。そして、最終的には個別具体的なアクションへと結びつける。「三宅島大学」は、このABCDアプローチの考え方を参考にしながら構想した。開校時(2011年9月)には、「調査・研究」「講座・行事」「環境・設備」という、相互に関連する3つの活動領域とともに実装された。

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出典:三宅島大学オフィシャルサイト http://miyakejima-university.jp/structure

  • 調査・研究:三宅島の地域資源を再発見・再評価し、その潜在的な可能性を模索し、発信する。
  • 講座・行事:地域コミュニティ内外の多様な人々の出会いや交流、コミュニケーションを誘発する。
  • 環境・設備:交流拠点の整備、情報発信ツールの開発、人材の育成などをおこなう。

私たちは、それぞれの領域における活動をとおして、三宅島の潜在的な可能性(キャパシティ)を理解しようと試みた。「三宅島大学」という「アートプロジェクト」は、そもそも探索的・構成的な活動としてデザインされていた。その意味で、「三宅島大学」プロジェクトは、(あらかじめ可視化されていた)「問題(課題)」を解くことよりも、(まだ見たことのない)「潜在的な可能性」を発見することを志向していたと言えるだろう。

(つづく)

 

参考

  • 加藤文俊(2011)メタファーとしての〈大学〉:地域資産を評価するコミュニケーションのデザイン『地域活性研究』第2号(pp. 17-24)
  • Kretzmann, J. and McKnight, J. (1993)Building communities from the inside out: A path toward finding and mobilizing a community’s assets. Skokie: ACTA Publications.

註1:Kretzmannらによる記述はアメリカにおける事情を前提としているため、訳出する際に日本の文脈に合わせて加筆・修正した。ここで重要なのは、記載されているキーワード自体ではなく、問題状況のスケールや抽象度に応じてニーズにもとづくマッピングが行われるという点である。

註2:地域における「資産」に着目する発想においても、日本の文脈に応じて、適宜改訂しながら訳出した。たとえば海外諸国における文脈では、エスニック・グループによる集い、教会等での集いなど、地域コミュニティにおける集まりにはいくつものバリエーションがある。また、図ではスペースの都合で割愛したが、Kretzmannらのマッピングでは、障がい者をはじめとする社会的参画が難しいと理解されがちな人びと(labeled people)の属性・能力も記載されている。文中の図は、網羅的なものではなく、いくつかのスケールで地域における「資産」を列挙する事例として用いている。

註3:コミュニティ・カレッジはアメリカの公立/州立の2年生大学であり、日本の文脈にはややなじみにくい。地域コミュニティの住民に高等教育を提供する組織・施設として理解すれば、類似の機能を果たす(果たすべき)存在として本論のストーリーに位置づけることができるはずである。